会社沿革

一世のある美味しいさ

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1970年 成立

企業の基礎を築く

2人の創業者は卒業した後、技能を学ぶために一緒に台北の菓子屋で月給30台湾元の見習いとしてスタートしました。 「当時はとても大変でしたが、とにかくやるしかなかったのです!」と。まだなんでも手作りだった当時は、毎日午前4時からその日の準備作業を始めました。生地を手と棒で適切な厚さにしてビスケットの形を作り、それを火でよく焼き付けます。このように同じ作業を何度も繰り返して深夜の1時か2時まで休めませんでした。そして、ストーブの温度を維持するために、両手に傷を負って厚いタコまで多くできました。石炭を燃やすと、体全体が石炭灰で覆われ、目だけが白くなりました。疲れちゃって回りの袋詰めの小麦粉の山に隙間を見つけて休憩を取る場合もありました。当時、そのように一歩一歩へと、一生懸命にビスケットを作ってきました。本当に大変でした。

店内での雑用に加えて、配達の仕事も担当していました。50年以上前の台湾はまだ三輪車の時代でした。二人は天候の良悪に関わらず、三輪車に乗って、台北、基隆、淡水などの地域を通って商品を顧客のところに届けました。ビスケットが壊れやすいため、道路の状態が良くないとき、二人はより一層注意を払ってビスケットを守らなければなりませんでした。特に、花蓮などのような遠隔地からの注文に出くわすと、往復まる1日かかって配達する必要であるため、途中で通り過ぎる巨大な砂利車に注意しなければなりませんでした。このように様々な試練を経てきた二人はその忠実な外見の下で、忍耐力と、部外者に想像できない強い根性と品質に対する完璧な要求を持っています。

1977年 工場設立

経営規模の拡大

事業が成長するにつれ、経営者たちは、工場を故郷である桃園に設立することにし、機械化生産の経営を開始しました。当時とても人気があったソーダビスケットには、多くの消費者に愛されていた赤いロゴのある透明な包装が使われていました。それ以来、ずっと消費者と一緒に成長しており、今に至るまで市場で確固たる地位を確立しています。

2004年 工場移転

安定した市場発展

市場のニーズが大きくて工場の生産量が不十分なため、経営者は改めて工場を八德廣福路にある現所在地に移転し、更に市場ニーズを満たすために工場規模を拡張しました。それと同時に、2002年に誕生した【自然の顔シリーズ】ビスケットは、2年後の2004年にやっと【自然の顔】ビスケットブームになり、各地の主要な販売ルートで販売され始めました。現在、更に積極的に新製品の研究開発を行い、さまざまな消費者のニーズを満たすためにより多様な美味しさを開発しております。

2011年に 発売された最初の手作りサンドイッチケーキ

多様かな経営

2011年、中祥は最初の手作りサンドイッチケーキ【巧心ソーダクラッカー】を開発しました。香ばしいモルトとまろやかなミルクとさっぱりしたネギクラッカーを組み合わせると、さくさくで柔らかな食感と甘くて塩辛い味が楽しめます。発売後大好評!

2012年に 発売された新たしい味【自然の顔】

【自然の顔】再突破

【自然の顔】シリーズは数年振りに新たしい味ーキノコビスケット(胡椒味)が発売され、台湾の地元のキノコ産地と協力して、キノコの香りと胡椒の香りを混ぜ合わせたソーダビスケットを作り出しました。ベジタリアン食材ですが、美味しさは衰えません。新しい良い味!

2013年 工場増設

持続的なうん醸と準備

食生活市場の急速な変化に伴い、新製品の開発と技術の進歩は、継続的に前進しなければならない目標です。中祥は2013年に工場再建計画を立ち、より高度で優れた機器を導入してより専門的な製造品質と効率を達成することを期待しています。

2018年に 開始された企業の社会貢献

集食計画の起源

二代目経営者である四人チーム(取締役社長の李昭志、取締役常務の李建和、取締役常務の李宗賢、取締役常務の李傳偉)は、二人の創業者がずっと拘ってきた「品質重視、誠実信義、諦めない」という企業精神を継承するだけでなく、国・社会に対する企業の貢献と責任の実施に取り組んでいます。

桃園ローカル建設への関心、社会的弱者世代の子どもたちの飢えを防ぐためのと【アンドリュフードバンク】への定期的な支援のほか、最近は、台湾人の愛を集めて幸せをより遠くの地域に送ってより多くの人々のニーズを満たすために、更に【社団法人台湾国際ジョセフ穀倉チャリティ協会】と連携して【集食満足、即時幸福】イベントを企画しています。